キャンディーズ田中好子、スーちゃんと呼ばれ親しまれていた告別式の取材で青山斎場へ行きました。情報番組の仕事をしていると通夜や告別式に行くことも多く、どこか慣れてしまっているところがあります。でも、この日の葬儀は違いました。外で取材をしていると、どこからともなく生前の田中好子さんの話声がするではありませんか…最後の肉声でした。これには驚きました。こんな告別式は初めてでした。ファン達は聞き耳を立てて泣いていました。自分が死ぬことを察した時、人はこんなに冷静に話をすることが出来るでしょうか…それだけでも、田中好子というひとはすごい人だなぁと思いました。そしてあらためてファンになりました。合掌。
下記に新聞の記事をコピペします。



【4月27日 日経新聞 春秋】
「さくらさくらさくらさくら万の死者」。今週の日経俳壇にあった句が頭から離れない。作者は岩手県大船渡市の桃心地さん。すさまじい廃虚が広がる三陸の被災地からの投稿だ。選者の黒田杏子さんは「国民的鎮魂歌」と評している。
桜前線津波にのまれた町にも達した。しかしそこには、おびただしい数の死がある……。深い悲しみを詠みながら、しんとした静けさを漂わせているのは言葉の力ゆえだろう。もちろん、これだけではない。震災からこのかた、本紙などの俳壇、歌壇には未曽有の惨禍を詠んだ作品が途切れなく寄せられている。
▼もともと、社会的な出来事にもなじみやすいのが日本の短詩型だ。大きな災害はしばしば句や歌に詠まれるが、こんどの事態は詠み手の精神をしたたかに揺さぶっていよう。切り立った言葉。魂のこもった表現。現実の重みが秀作を生む。戦争や動乱と同じように、震災はやがて、文学を突き動かしていくだろう。
▼「まがまがしい金の満月のぼりきて地球の裏の故国思へり」。こちらは日経歌壇に載った、メキシコ市に住む神尾朱実さんの歌だ。異郷の輝ける満月に、かえって深まる日本への思い。居ても立ってもいられぬ気持ちが作品になったのかもしれない。災厄の前で人は言葉を失う。それでも、言葉にはなお力がある。


【4月27日 読売新聞 編集手帳
森鴎外は臨終の昏睡(こんすい)に陥る前、最後につぶやいたと伝えられる。「ばかばかしい」。井上靖は見守る家族に最後の言葉を残している。「臨終とはこういうことだ。しっかり見ておきなさい」◆話術家の徳川夢声は死の床で、夫人に呼びかけたという。「おい、いい夫婦だったなあ」。鴎外の虚無、靖の達観、夢声の情愛…それぞれに味わい深い。共通するのは自分もしくは、自分が残していく家族に最後のまなざしを向けていることだろう◆それが普通に違いない。おのが命の消尽を見つめながら、顔も名前も知らない他人に寄り添うことができる人はそういないはずである◆〈私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。そのときは必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています〉。乳がんのために55歳で逝ったキャンディーズの「スーちゃん」、田中好子さんの告別式で、生前に録音されたという“最後の肉声”が流れた。テレビの前で聴き入った方は多かろう◆感動した、では少し足りない。打ちのめされた、そんな心境である。


【4月27日 朝日新聞 天声人語
井伏鱒二が「姪(めい)の結婚」という小説の雑誌連載を始めたのは1965年1月だった。連載途中でこの作品が「黒い雨」に改題されなかったら、放射能の怖さを象徴する一語は、これほど流布しなかったかもしれない▼広島に原爆が落とされた後、放射能を含む黒い雨が降った。主人公の矢須子はその雨に打たれ、体をむしばまれる。22年前、今村昌平監督の映画で主役を演じたのが、亡くなった田中好子さんだった。見事な演技で映画賞の主演女優賞を総なめにした▼田中さんの早すぎる死を悼みつつ、手元の小説を読み直してみた。矢須子に向けられる偏見や差別への、作家の抑えた憤りが底を流れている。時代も事態もむろん異なるが、進行中の原発禍を思い合わせてしまう▼福島県の人が旅館やホテルで断られた。他県へ避難した子が学校で心ないことを言われた。などと伝え聞けば、憤りより先に情けなくなる。風評被害も深刻だ。「偏見は無知の子どもである」。箴言(しんげん)の突く真実がやりきれない▼「もういいよ。福島県人は福島県人だけで生きていくから」という嘆きが、東京で読んだ声欄にあった。被災地へ寄せる全国の思いも、ときに1人の不届きでかき消える。二重三重の罪深さだと心得たい▼「天国で、被災された方のお役に立ちたい」と、泣かせる言葉を残して田中さんは旅立っていった。キャンディーズのスーちゃんにあらためて惚(ほ)れ直した人は多かろう。記憶に鮮やかなあの笑顔を人界の不埒(ふらち)で曇らせたくない。

かなりいいぞ!ハーレクインシリーズの電子出版

iPadのニュースでにわかに電子出版が注目されはじめている。Kindleが出たときには英語版の書籍しか見ること出来ないということだったのであまり興味もわかなかったが、iPadが出るとなると事情は違う。なにしろAppleがやることだから目が離せないということもあるのだけれど。

iPhoneが日本に上陸(2007年7月)した時もそうだったが、日本ではiPhoneは成功しないのではないかと言われていた。しかし、どうだろう、上陸からわずか3年あまりなのに、iPhone契約者数はどんどん伸びている。これは、SoftBankの戦略ももちろんあるのだろうが、それよりもアプリケーションの多さと、なんといってもAppleが誰にでもアプリ自体を開発し販売出来る仕組みを作ったからではないかと思う。iPhoneアプリはいま10万本を越しているという。ほんとすごい!(しかし、その中で残っていくアプリはどれくらいあるんだろうなんて思いますが…)

iPhoneのアプリケーションは様々な発想によって作られている。だから使い方によってはとても便利なものが多い。中でも、ハーレクインの漫画を読むアプリはすごいと思う。これはアプリとはちょっと違うと反論もあるかもしれないが、私にとってはiPhoneのデスクトップにあるSoftなので、アプリとして考えている。
つい先日、ドラえもんのアプリがSoftBankから発表され(期間限定)、その中にドラえもんの漫画があるのだが、その漫画自体はタップし大きくして見なければ読めないものだった。つまり、単行本をそのまま、取り込んだスタイルだったのだ。そこで思ったのが、産経新聞のアプリ。このアプリは一時とても話題になった。新聞の紙面がすっぽり手の中に入るのだから、初めのうちは私も「こりゃすごい!」と思って毎日ダウンロードしていた。だけど今は全く読む気がしない。それはなぜか、簡単である。とにかく読みにくいのだ。iPhoneに一面のサイズを小さくしたって、読めないし、写真だって何が映っているかわからない。だから、一面サイズの画面は必要ないのだ。

ところが、ハーレクインの漫画のアプリはとてもいい。ひとこまづつ見るので読みやすい。それにタップをすれば次々にのコマが進む。画角に合わせて、PANやスライドインだってする。最近では漫画の中で、主人公などが動揺した場面では、がくがくと動き、さらにバイブレーションも作動する。よりリアルな感覚を漫画を読みながら体感できるのだ。読むスピードはタップをすればいいので、自分のリズムで読める。だから感情移入しやすいのだ。しかしこの方法は、ひとこまずつ作らなければならないので、とにかく手間がかかると思う。だけど読み手にしたら、ひとこまづつの方が絶対に読みやすいのだ。そこのところをちゃんと考えて、ハーレクインの漫画作られているのだ。

産経新聞iPhoneアプリは操作をすれば画面を大きくし文字は読めるのだが、操作しなきゃならいということは、意外に読みにくいものなのだ。これでは産経新聞のアプリは物珍しさだけで終わってしまう一因。残念なことに「いかに読みやすくしていったらいいか…」なんてことは、まったく産経新聞さんは考えていないようなのだ。
しかしハーレクインが一番面白い!といっても、私自身はハーレクインの漫画自体にはあまり興味ないのである。だからiPadが日本で発売される前に、このブログを見た出版社・新聞社(と言っても、産経新聞しかないが)の方々は、ただ紙面を取り込むだけのようなアプリは、いま一度考え直してもらいたいと思っている。

茅ヶ崎に住んで2年…

zegy2009-11-15

今年の夏、神奈川県茅ヶ崎に住んで2年が経ちました。
この2年間、茅ヶ崎を離れたくないという思うが強くなっています。それはある事情があるからです。海から見る富士山がとってもきれいだということ。これはサーフィンをしている者だけが感じられる、最高の贅沢なんです。(正確にはマリンスポーツをしている人はみんな見ていると思うが…)
しかし、それだけではありませんでした。
今朝、来月の自転車置き場の権利をとるため早起きをし、その帰り道のことでした。波の様子を見ようと海に向かうため国道134号線にかかる横断歩道橋の上から西を見ると、すばらしい富士山がそびえ立っていたのです。山頂に白い帽子をかぶった富士山。こんな風景があったのか…とカメラに納めました。
心が揺さぶられる美しい景色を見るたびに、自然のありがたさを感じます。そして不思議と心が豊かになるのです。そんな些細な発見が出来る茅ヶ崎が、またまた好きになりました。

川村カオリさん、元気玉をありがとう!

二日前、歌手の川村カオリさんの訃報を聞いた。彼女は生きているだけで、多くの人たちに“元気玉”を送っていた。だから、ただただ生きていてくれているだけでよかったのかも知れない。彼女は38年間をずっと突っ走って生きていた。彼女に自伝を読んでそう思った。縁あって彼女をほんの少し知ることができたが、目の前の彼女はやっぱり突っ走っていた。早すぎる死を悲しむ人は多いと思うが、彼女はがんが再発してから、1年半、どんな最期を送るかずっと、ずっと準備していたんだと思う。そしてやり遂げたんだと思う。一人娘、るちあちゃんのことはほんと無念だと思うが……あすは、告別式。合掌

“さくらまや”はすごいぞ!

天才演歌少女と言われている「さくらまや」。素直な娘で、とても頭のいい娘だ。彼女がどんな質問にも答えられるのがその証拠!歌はもちろんのことだが、あの頭の回転の速さも将来の楽しみのひとつだと思います。とにかくこれからも応援しようっと!

http://jp.youtube.com/watch?v=IYrAw3V0w9Q

らじおたっち

iPod touchを買ってから半年になる。iPodは3台目になるが、これまではCDを聞くだけのためのものだったが、最近はまったくCDは聞かない。もっぱら、Podcastをダウンロードして聞いている。

おすすめはTBSラジオの「ストリーム」。仕事をしていると平日の昼間はラジオを聞くことが出来ないので、こんな番組があることを知らなかった。芯のあるコーナーが目白押しで、相当楽しい。あと欠かさずダウンロードしているのが、町山智浩の「町山智浩アメリカ映画特電」これは絶対におすすめ!映画評論家の町山トークが炸裂しているのだ。

そして最近、「らじおたっち」というインターネットラジオ放送サービスlivedoorねとらじの番組を聴取するアプリで聞く、素人の番組。
中でも「女の子なのだーw」という番組。ちょっとエッチな番組を想像するのだが、まったくそんな内容ではない。
ただただ、女の子がギターをつま弾きながら歌を歌っているだけ。しかし、これが素人にしては意外にうまいのだ。まあ、最近は歌のうまい人が多いから、それほど驚くことではないのかも知れないが、私自身が下手なので、歌のうまい人には感動してしまうのです。
ネット発の新人発掘って言うのも最近では当たり前のようになっているが、こうした、女の子もいつかメジャーの世界に出てくるのだろうか。

「Into the Wild」いい映画だったなぁ…

zegy2008-07-03

映画「Into the Wild」を観た。10年前にアメリカで話題になった「荒野へ」の本の映画化。で、実話だ。
おととし、仕事でカナダのホワイトホースへ行ったことがあったので、スクリーンに映し出されるアラスカのきれいな景色とロケで訪れた景色が重なりとても懐かしい気持ちで観た。改めてカナダの仕事は貴重な体験だったんだなあと思った。
そしてこの映画は私にとって「忘れられない映画」の一本になった。

どんなストーリーかは検索すればわかるのでお話ししないが、とにかく「考えさせられる」映画だった。
いい映画は見終わった後「考えさせられるもの」…これは映画評論家の町山智浩さんが何かの番組で言っていたのだが、本当にその通りだと思った。見終わった後、じわじわといろんな事を考えさせられてしまった。

主人公のクリストファー・マッカンドレス青年は「なぜ旅に出たんだろう」「どうしてアラスカに向かったんだろう」「どうしてたくさんの断章メモを残したんだろう」そしてもし彼が生きていたら「どんな人生を送っているのだろう」などなど。
勿論映画なのだから、構成の妙でそれらの答えは伝わるよう制作されているのだが、しかし彼はもうこの世にいないのだ。だから本当のことは誰もわからないハズ。だからこそ考えてしまうのだ。

映画には彼が残した断章メモのすばらしい言葉がいっぱい、いっぱい出てくる。これも見所の一つだが、私はあるシーンが鮮明に残ってる。
彼が一番最後に出会う老人退役軍人ロニー(ハル・ホルブック)を山に登らせようとするワンシーンだ。
老人は体力のこともあって山のてっぺんに上がろうとしない。そんな老人にマッカンドレス青年は「新しい経験は人生を豊かにするんだ」といって山のてっぺんから見下ろす景色を見せようとするシーンだ。人生経験豊富な老人に、23年しか生きていない若僧がこんな生意気な言葉を発し老人をその気にさせててっぺんまで登らせるのだ。そしてこの映画で最も重要と思われる会話が山のてっぺんで話される…
これ以上はネタバレになるので書きません。私は9月の公開になったらもう一度この映画を観に行こうと思っています。

そこで今回の一言一行。
「やっぱり若いもんは本を持って旅をせなあかんなあ〜」
もうすぐ夏休み。今年は原油高騰でどこへ行くのもお金がかかりそうなので、バックパックの旅もいいかも知れません。